重症の脳出血で高次脳機能障害や失語症が残っても復職できるのか【正解のリハビリ、最善の介護】

【正解のリハビリ、最善の介護】#26

以前、当院でリハビリ治療に取り組んだAさん(男性・当時39歳)のお話の続きです。

Aさんは重症の「脳出血」によって右半身が完全麻痺となり、体の動作は全介助の状態でした。そこから当院で6カ月のリハビリ治療に取り組んだ結果、右半身には麻痺が残ったものの、装具を装着した杖歩行で歩けるようになり、信号も渡れるレベルまで回復。ADL(日常生活動作)の指標も自分でできるまでに向上し、自宅退院が可能になりました。ただ、重度の感覚障害や重度の失語症が残っていて、言語機能面は単語と短文の理解はほぼ可能、発語と書字も単語レベルで一部可能という状態でした。

今度はいよいよ復職に向けた取り組みのスタートです。39歳のAさんは、就労年齢の上限に当たる65歳まで残り25年間もあります。この期間に復職できるのかできないのかで、人生がまったく変わってしまいます。人間は誰かを助けて喜んでもらうことに幸せを感じる生き物で、この“人を助ける活動”こそが仕事だからです。

■復職支援事業所と連携し制度を上手に利用する

障害が残ってしまった方の復職支援は復職支援事業所と連携し、「就労移行支援」「就労定着支援」「就労継続支援(A/B型)」のどれかを選択して上手に利用することがスタートになります。その結果、復職が可能となるには7つの条件が必要です。①病状が安定すること、②働く自発的な意思を持つこと、③日常生活が自立すること、④感情を管理できる社会性と病識を持つこと、⑤障害を代償して就労が可能であること、⑥通勤が自立すること、⑦週5日を就労する体力ができること、です。

⑤、⑥、⑦を実現するためには、公共環境での体力が必要になります。入院中はすべてスタッフから大切に見守られる環境ですが、公共社会環境ではすべて自分で責任を持って行う環境に変わることになります。その適応は簡単なことではありません。

もっとも簡単な復職は、障害を負う前に働いていた会社に戻ることです。自宅退院後に復職支援事務所に通い始めたAさんは、重度の失語症で言葉による意思の疎通が不十分でした。そのため、システムエンジニアとして働いていた元の会社から復職を断られてしまいました。

これは、会社の規模や経営方針によっては避けられない現実です。だからといって、復職をあきらめることはありません。復職に必要なコミュニケーションと社会性は、回復期病院を退院後、1~3年間をかけて向上します。このわずかな向上が復職に極めて重要になるのです。

その後もAさんの復職に向けた取り組みは続きました。最初に通っていた復職支援事業所では適切な支援が得られなかったため、事業所を変更しました。その間、Aさんはリストラとなってしまいます。しかし、次に選んだ復職支援事業所とは良好な信頼関係が構築でき、2年間かけてハローワークを通した障害者枠を利用しての再就職ができました。

失語症は、若年者では数年をかけて年単位で長期的に軽快します。Aさんは、3年間かけて言語による簡単な意思の疎通が可能となり、再就職を実現しました。

活動能力を軽快できないと、感情障害や病識障害(障害のあることを自覚できない)が増大し、生活に支障を来すことになります。入院時のAさんは、失語症以外にも、記憶障害、注意障害、遂行障害、修正障害、失認、失行などの高次脳機能障害を認めましたが、病識と礼節は保たれていました。

そうした高次脳機能障害の一つ一つをADL訓練に落とし込み、一つ一つの問題点を繰り返しアプローチしていくことで、退院時のAさんは、RCPM(レーヴン色彩マトリックス検査:言語性課題を行えない患者の簡易知能検査)は36点(36点満点)、コースIQ(コース立方体組み合わせテスト:非言語性の知能検査)は123(平均100)、MMSE(ミニメンタルステート検査:認知機能レベルを把握する検査)は18点(30点満点)まで改善しました。

退院後、Aさんは復職を果たしました。ただ、一時は75キロまで減らした体重は90キロに増え、血圧も再び上がり、降圧剤は増量となりました。また、復職して2年たって外来リハビリ通院を無断で休むようになりました。再発しないことを願うばかりです。

(酒向正春/ねりま健育会病院院長)

2024-05-01T00:42:57Z dg43tfdfdgfd