「男社会」で麻痺した私たちのルッキズム|前川裕奈さん×笛美さん(1) #しゃべるっきずむ!

女子力がない“干物女”だと諦めていた

前川裕奈(以下、前川):ずっと笛美さんの発信を拝見していて、私が『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』を出版したときにメッセージを送らせていただきました。あのときに「私もルッキズムには関心があって」とお返事くださったのを覚えています。

笛美:私自身は、前川さんのように「ごはんが食べられなくなった」とか「無理なダイエットをしていた」というわけではないんです。どちらかと言うと「私はそっち側にはなれない」と諦めているようなタイプの人間だった気がします。前川さんは同世代だからわかると思うんですけど、当時は『CanCam』などのコンサバ系が流行っていて、髪も骨格も細い人がかわいいとされていました。でも、私はどちらもめっちゃ太くて。

前川:懐かしいですね〜!まさに大学生になった頃にコンサバ系が大流行していました。校則がなくなり、やっと髪の毛も染めれて嬉しかったはずなのに、髪質もメイクも体型も雑誌の子たちとは程遠くて落ち込んだり。私も20代後半までは容姿コンプレックスまみれだったので、「私はそっち側にはなれない」の感覚はよくわかります。

笛美:私も大学生のときは髪を巻いてみたり、いろいろやってはみたけれど、かわいくなろうとすごく努力した記憶もないんです。私たち世代の言葉で言うと、“干物女”とか言われるようなタイプだったのかも。

前川:わかります。私は小学校であだ名をつけられてから「自分はデブなんだ」という呪いを抱えていて。中高時代も、努力してもどうせ私は痩せられないんだろうし、みたいな感じで生きてましたね。

笛美:で、今度は「女子力が足りない」とか言われるんですよねえ。

前川:そうなると自虐に走るか、がんばって周りの期待に応えるためにメイクやダイエットをするか。どちらにしても地獄ですよね。

「男社会」で女が生きるということ

前川:笛美さんはずっと広告業界で、私は最初の職場が不動産業界で、どちらもゴリゴリの男社会なのかなと。今日は「男社会の中でのルッキズム」についてもお話ししてみたいと思ってたんです。

笛美:たしかに。私の著書『ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生』の読者さんも、不動産や建築などのいわゆる“男社会”にいる人が多いです。本の中ではルッキズムについて多くは書いていませんけど、今思えば「あれってルッキズムだよな」と思うことは私自身いろいろあって。例えば、会社の中で「新入社員の中でかわいい女子ランキング」が作られていたりとか。

前川:それはアウトですね!何様だよって感じ(笑)

笛美:さっき言ったとおり「かわいい系」ではなかった私ですら、その土俵に乗せられたこともあったんですよ。そのときは嬉しかったんだけど、後から気づいたのは別にかわいいと言われたって仕事の評価が上がるわけじゃないってことで。しかも、新入社員は毎年入ってくるので、そのランキングからどんどん減点されるだけなんですよ。

前川:私の職場は女子が少なすぎてランキングはなかったけれど、「誰派?」みたいなやりとりは普通にありましたね。「同期の中だったらあの人好みだな」と考えるだけじゃなく、それをいちいちランク付けしよう、みたいなところが変ですよね。

笛美:そうですよね。でも、そのランキングが作られたとき、私はやっぱり「もっとかわいいって言われた方がいいんだ」と思っちゃったんですよね。私が新入社員の頃にちょうど“愛され”という言葉が流行り始めていて、ちゃんと見た目も含めて愛されなきゃいけない、と。それは結局「男社会でウケる見た目」ってことなんですけどね……。

前川:私は当時海外系ギャルに憧れがあったのでメイクが濃かったんですよ。がっつりアイラインをひいて、つけまつ毛もして、自分のテンションが上がる濃いめのメイクをしていくと「派手だ」と怒られてました。でも深夜まで残業して、早朝出勤のときにすっぴんで行ったら行ったで「今日、顔薄くない?」と笑われる。

笛美:ひどい話ですよね(笑)。あと、愛されるために「かわいく」いなきゃいけないというのは、内面にも求められていると感じてました。「かわいい内面」って、つまりバカで愛されること。それは仕事ができる自分、クリエイティビティを発揮する自分という社会人として成長していくのとは真逆にある。全然両立しなくて苦しかったなって思います。

中にいると、おかしいとも思えなくなる

前川:笛美さんは広告業界だったので、よりルッキズムが気になる場面に遭遇することは多そうですね。

笛美:そうですね。広告やタレント業界そのものがすでにルッキズムだらけですよね。タレントさんが見た目で判断されるのはしょうがない部分もあるのかもしれませんが、やっぱり「かわいい/かわいくない」と値踏みされるのを見るのは気分がよくないです。しかも、その感覚が当たり前になっているので、私や女性の先輩たちへの発言にも、普通にルッキズム的なものが入ってきます。

前川:「言っていいんだ」「おもしろいんだ」と麻痺してくるというか。

笛美:そう。そういう環境では「女の人は外見を評価されるものなんだ」という価値観が、私のなかにも根付いていく感じ。一方で、外見を評価されたとしても仕事には結びつかない理不尽さも感じていましたね。

前川:会食や飲み会では“接待要員”としての動きを求められるのに、その分プラスで歩合賃が発生するわけじゃないですもんね。

笛美:そうそう。

前川:こうやって今振り返ると「あれはひどかった!」と思えるけど、その当時はおかしいって思わなくないですか?

笛美:そうなんですよね。新入社員のときに「クライアントや上司に好かれるための、接待で使う『さしすせそ』を言え」って言われたんですけど、それも変だとは思わなかった。

前川:「さ」すが、「し」らなかった、「す」ごい、「セ」ンス良い、「そ」うなんだ〜のやつですよね(苦笑)。純粋な新卒のときに研修で言われたら、そういうもんなんだって思っちゃう。今、私たちはそこから脱却できているから見えるだけで、男社会のなかにいるときは気付けなかったですね。

受け流すのが、“いい女”?

笛美:見た目のこと言われて「ん?」って思ったり、セクハラで嫌な思いをしても、「周りに迷惑をかけたくない」「面倒くさいやつと思われたくない」と嫌だと思った自分の気持ちを押し殺しちゃう人も多いんだろうなと思います。

前川:わかります。「受け流すのが社会人として優秀」という雰囲気もありましたよね。

笛美:うまく転がすのが大人の対応だ、みたいなね。会社の人から「本当に賢い女は、男を立てて専業主婦やってるんだよ」とか言われたことあります。

前川:うわ、すごいですね。そういう発言を目の当たりにしたときって、どういう対応をしてました?

笛美:当時は「愛されなきゃいけない」と思っていたから言い返すこともなくて、それこそ流していた感じかも。「働いている自分は本当は賢くないんだ」と言われている気がしていました。

前川:その時は言い返せないですよね。私は今でこそルッキズムに関する発信をしているから「それアウトですよ」と言えますけど、そうじゃなかったらやっぱり言えないと思います。いつも真に受けて傷つくのも疲弊しちゃうし、さらっと受け流す術を持っておくことは、心の護身術にはなるのかもしれませんね。

笛美:そうですね。自分を傷つける人や環境から逃げることも、ひとつの手段としては有効ですよね。

前川:ただ、できればその一歩先をいきたいなとも思います。言い返さない限りは、やっぱり相手はそれが誰かを傷つける発言だと気づけないですし。

笛美:そうですね。私自身も環境を変えてきたのは自分のためにはいいことだったけれど、言ってきた人たちは変わらないままだったのかな、と申し訳なくなることもあります。

前川:ルッキズム発言する人のことを友達に愚痴ったりすると、結構「いや、そんなの全然いるでしょ」みたいな反応だったりするんです。だから、私たちの周りに少なくなってきただけで、社会の中にはまだまだいるんだろうなって残念な気持ちになります。

笛美:私たちがそこから抜け出しただけなんですね。

前川:抜け出して初めて、笛美さんの本みたいに「ぜんぶ運命だったんかい」と思えるのかもしれません。今でも10代や20代の子たちが苦しんでいる現状があるのだとすれば、やっぱりルッキズムは根深い問題だなと思いますね。

*次回、広告業界で働く笛美さんに改めて聞きたい、広告が私たちに与える影響とは。2回目「広告に潜むエイジズム・フェミニズム・ルッキズム」は、こちらから。

プロフィール

笛美さん

広告業界で働くかたわらSNSでフェミニズムや社会問題について発信。著書に「ぜんぶ運命だったんかい おじさん社会と女子の一生」(亜紀書房)がある。2020年に旧Twitterで480万回ツイートされた「#検察庁法改正案に抗議します」仕掛け人。

前川裕奈さん

慶應義塾大学法学部卒。民間企業に勤務後、早稲田大学大学院にて国際関係学の修士号を取得。 独立行政法人JICAでの仕事を通してスリランカに出会う。後に外務省の専門調査員としてスリランカに駐在。2019年8月にセルフラブをテーマとした、フィットネスウェアブランド「kelluna.」を起業し代表に就任。ブランドを通して、日本のルッキズム問題を発信。現在は、日本とスリランカを行き来しながらkelluna.を運営するほか、「ジェンダー」「ルッキズム」などについて企業や学校などで講演を行う。著書に『そのカワイイは誰のため? ルッキズムをやっつけたくてスリランカで起業した話』(イカロス出版)。yoga jouranal onlineコラム「ルッキズムひとり語り」。

ウィルソン麻菜

「物の向こうにいる人」を伝えるライター。物の生まれた背景を伝えることが、使う人も作る人も幸せにすると信じて、作り手を中心に取材・執筆をおこなう。学生時代から国際協力に興味を持ち、サンフランシスコにて民俗学やセクシャルマイノリティについて学ぶなかで多様性について考えるようになる。現在は、アメリカ人の夫とともに2人の子どもを育てながら、「ルッキズム」「ジェンダー格差」を始めとした社会問題を次世代に残さないための発信にも取り組む。

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