「災害ですべて失い、絶望的な気持ちに…これからどうしたら?」【グリーフケアの専門家が回答】

自分のなかに生き続ける、故人の面影が希望に

―災害で大切な人を失うと、救えずに生き残った自分を責める気持ちが生まれます。生きる意味を見出せなくなり、喪失感が長期化するのが心配です。

「このような場合、生かされたことに意味がある、亡くなった人の分まで頑張って生きてと言われても、本人がそう感じられない限り周りからの励ましは重荷になります。一つ言えるとしたら、亡くなった方はあなたがいるだけで幸せだったはず。故人にとって大切な存在であるあなたが生き抜いたのだから、どうか自分を責めないでください。故人が大事にしていた物や価値観を今度はあなたが大事にして、生きる希望にしてほしいです」

―人が生きるには拠り所が必要です。しかし、大切な人や安らげる家、仕事、思い出まで根こそぎ奪われると、孤独の谷に突き落とされたようで不安が押し寄せます。

「自分の支えだった存在が突如としてなくなると、独りで立っているのもままならないでしょう。しかし、物理的に何かをして差し上げることはできなくても、被災した方々を思い平穏な日常が戻ることを願う存在が、私を含めて近くにも遠くにもいることを忘れないでください。人とのつながりは現実社会に留まらず、亡くなった方との関係もあなたが生きている限り消えません。存在を思い出しながら名前を呼び、今日の出来事を話すことともできます。一人であっても独りではないと心に留めてほしいです」

悲しみを語ると心が整い、自己回復力の芽吹きにつながる

―自分より大変な人がいるから辛いと言えない、思い切り泣けないという声を聞きます。一人で悲しみを抱え込むと視野が狭くなり、余計に追い詰められます。

「大変なときも他者をおもんばかるのは、日本人が持ち合わせている長所だと思います。しかし辛いときは辛いと、自分らしく悲しみを表現してほしいです。悲しみは個別性の高い感情なので、あなたが本当にわかるのは自分の悲しみだけです。周りの悲しみの深さを推し量って自分の心に蓋をする必要はなく、まずは自分の悲しみや苦しみに目を向けて、心のままに泣いていいし叫んでいい。人の目が気になるなら隠れて泣いてもいいですが、その涙に共感してくれる相手がいると、なおいいと思います」

―悲しみを打ち明けず自己処理する人もいますが、個人的にはグリーフを癒す過程には受容者の存在が必要だと感じます。なぜなら悲しみを言葉にして他者に受け取ってもらうと固まっていた心が動き、心が動くと思考が働き新たな流れが生まれるからです。

「私も同感です。人に悲しみを物語るには勇気が必要です。自分にはこんなふうに話せる力があるという気づきは自己回復力の芽吹きにつながります。また気持ちを言葉にすると自分が何に悲しみ、亡くなった方にどんな思いを抱いているか整理されて落ち着きを取り戻せる。これからどう生きていきたいか、という気づきも生まれるかもしれません。物語る相手は生きている人とは限りません。お墓参りに来て墓石の前で号泣しながら故人に語りかけ、晴れやかな顔をして帰って行かれる檀家さんがいます。自分らしく思いを表出できるなら、相手が故人であっても私はいいと思います」

心の復興は自分のペースで。行きつ戻りつ、足踏みして

―街の復興が進み日常が戻るのは嬉しいことですが、思い出が消し去られようだ、心が変化に追いつかず取り残された、と感じる被災者もいます。能登半島地震後、報道番組で聞いた「何年経っても自分には復興はない」という被災者の言葉には、痛みを伴う悲しみを感じました。

「街の復興にあなたが追いつこうとする必要はありません。立ち直りは強制されるものではなく、自分のペースで、あなたが持っている自己回復力に沿った生き方をすればいい。風景が変わっても思い出はあなたの心で生き続け、故人との絆も途絶えることはありません」

―目に見えないものは、見えるものより大らかで優しいと常々感じます。思い出もそうで、取り残されたと感じたときは在りし日にすがっていいと思います。思い出したくなる思い出を持っている人は、とても幸せなことだから。

「そうですね。前に進むだけが正解ではなく、疲れたらその場で足踏みをして思い出によりかかっていい。甚大な被害を被ってどんどん前に進める人なんていないですし、心の復興は行きつ戻りつでいいと思います」

不思議な体験は、亡き人との絆がもたらす「再会」

―話は変わりますが東日本大震災後、霊的な現象を体験したという話を頻繁に耳にしました。亡き夫の携帯電話がなった、お子さんが遊んでいたおもちゃが突然動いた等々。このような現象をグリーフケアの視点でどのように捉えますか。

「霊の肯定、否定を論じるのはナンセンスで、経験した本人にとっては事実なのです。グリーフケアの視点で話をすると、亡くなった人との間に絆があり、互いを大事にする思いがあるから生じたと考えられます。だから霊的な現象を恐れる必要はなく、霊として現れた側は遺した家族や友人が元気でいることに安堵し、遺された側は見守られている感覚が拠り所となる。このような再会の場には、安らぎの力が働いているように思います」

東日本大震災後の不思議な体験を取材した『魂でもいいから、そばにいて 3.11語の霊体験を聞く』には、「死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケア」※1とあります。また、「『亡き人との再会』ともいえる物語は、その悲しみを受け入れるためではない。むしろ大切なあの人との別れを認めず、姿は消えたがその存在を感じつつ、忘れることを拒否する自分を受け入れるためのように思う。きっとそれは、大切なあの人が、この世から忘れ去られないためでもあるのだろう」※2という一文が印象的でした。

※1奥野修司『魂でもいいから、そばにいて 3.11後の霊体験を聞く』(新潮社)60頁

※2同書 246頁 

〈プロフィール〉 

語り手/坂本太樹さん

1985年生まれ。臨済宗妙心寺派 曹溪寺副住職(東京都・港区)。京都妙心寺専門道場で5年間修行。2016年より2022年まで(公財)全日本仏教会に勤務。その後、大切な人を亡くした悲しみなど喪失による悲嘆を抱える人に対する真の寄り添いを学ぶため、2022年4月より上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学し、同研究所認定「臨床傾聴士」の資格を取得。(公財)日本宗教連盟 宗教文化振興等調査研究委員会委員を務める。

聞き手/北林あい

フリーライター。グルメ・旅行関係の執筆に携わり、乳がんの罹患を機に正確な医療情報の必要性を感じて医療・ヘルスケア分野のライターに転身。がんは寛解しても心の回復に時間を要したことでメンタルケアにも関心を持ち、上智大学グリーフケア研究所・グリーフケア人材養成課程に入学。同研究所認定「臨床傾聴士」の資格を取得し、現在は「心」に関する記事の執筆のほか悲嘆を抱える人の傾聴活動も行っている。@kitabayashi1101

ヨガジャーナルオンライン編集部

ストレスフルな現代人に「ヨガ的な解決」を提案するライフスタイル&ニュースメディア。"心地よい"自己や他者、社会とつながることをヨガの本質と捉え、自分らしさを見つけるための心身メンテナンスなどウェルビーイングを実現するための情報を発信。

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