疲労感や不安が続いたとき、「どこか自然のある場所に行きたい」と感じたことは誰しも経験したことがあるのでは? イギリスで行われた最新研究が、このフワっとした感覚にしっかりとした科学的裏付けを与えてくれた。週1回、自然の中で過ごす時間が、たった12週間で人の気分や不安レベルを目に見えて改善させるという。調査を行ったのは、ヨーク大学の研究チームだ。彼らはイングランド東部のハンバーとノース・ヨークシャー地域で、軽度から中程度のメンタルヘルス不調を抱える220名以上を対象に、週1回の自然体験プログラムを実施した。年齢は18歳から85歳までと幅広く、男女を問わず参加した。活動内容は、森林ウォーキングやガーデニング、農業体験などさまざまだが、どれも自然と直接関わるものばかりだ。その結果、気分の改善や不安の軽減が、週1回の自然活動によって確実に得られることが明らかになった。特に9~12週間と、少し長めに続けた人ほど、より大きな効果が見られたという。
この取り組みは「グリーン・ソーシャル・プリスクライビング」(社会的処方)」と呼ばれ、医療機関と地域の自然活動団体が連携して、患者に“自然体験”を処方する新しい試みだ。薬を出すのではなく、「ガーデニングをしてみましょう」「近所の森林保全に参加しませんか」といった、自然とのつながりを紹介するもの。医師や看護師などの医療スタッフが、患者一人ひとりと話しながら、生活や気持ちに合った自然活動を紹介する。中でもガーデニングや農作業など、“土に触れる”活動は、運動やクラフト系の活動よりも強く心に作用することがわかった。ヨーク大学の研究者トリッシュ・ダーシーは、「すべての人に効果があるわけではないけれど、多くの人にとって自然体験は、医療とは違う角度から心を支える力になる」と語っている。実際、今回の参加者の65%は経済的に厳しい環境にある人たちだったが、自然活動への参加率は高く、地域との新たなつながりも生まれていった。
心が疲れたとき、私たちはつい「何かしなきゃ」「解決しなきゃ」と焦りがちだ。でも今回の英国の取り組みは、ただ自然の中に身を置く、それだけで人は少しずつ回復していけることを示した。病院の処方箋ではなく、木々の緑や土のにおい、鳥の声やそよ風といった自然そのものが、心の薬になる。この考え方が今、医療現場でも注目されはじめている。医師や看護師が「薬のかわりにガーデニングをしてみませんか」とすすめる未来が、すぐそこまで来ているのだ。
この研究を主導したヨーク大学のチームは、「自然は誰にでも開かれている。経済的な負担も少なく、地域全体に良い影響を与える可能性がある」と強調する。さらに、プログラムに参加した人たちは「心の健康が少しずつ回復しただけでなく、人と話すのが怖くなくなった」「生きるリズムを取り戻せた」と、自然を通して自分自身と社会をつなぎ直すきっかけを得ている。医療の場だけでは補いきれない心のケアに、自然というパートナーを迎えること。それは特別なことではなく、誰にとっても身近で現実的な選択肢になりつつある。今、世界中で問われている「どうすれば人は健やかに生きられるのか」という問いに、自然がやさしく答え始めているのかもしれない。
出典:
Nature-based activity is effective therapy for anxiety and depression, study shows
This Mental Health Fix Is Free, Natural, and Probably in Your Backyard
How nature heals: Outdoor activities greatly improve mental health
山口華恵
翻訳者・ライター。大学卒業後、製薬会社やPR代理店勤務を経て10年間海外(ベルギー・ドイツ・アメリカ)で暮らす。現在は翻訳(仏英日)、ライフスタイルや海外セレブリティに関する記事を執筆するなど、フリーランスとして活動。趣味はヨガとインテリア。
2025-05-04T11:00:06Z