私はヨガ講師という立場上、“先生らしく”あろうとするという殻を被っていまいがち。殻を被ると、本当の自分が見えなくなっていくような感覚があります。完璧でいようとするほど、心が不自由になっていくのですよね。
私は長女ということもあり、小さい頃から「しっかりしなきゃ」という気持ちが強い子供でした。頼られるのが嬉しかったし、期待に応えたい気持ちもありました。
そんな性格のまま大人になり、ヨガ講師になってからはより「ちゃんとしている自分」でいなきゃと肩肘を張っていた。周囲からの信頼や安心感を得られるように、どんなときも落ち着いて見えるように心がけていました。
けれど、その“ちゃんとした私”の裏には、常に緊張があったように思います。「失敗したらどうしよう」「完璧じゃなかったらどう思われるだろう」──。そうやって心の奥ではずっと、誰かの目を気にしていたのかも知れません。
今振り返ると、あの頃の私は自信のなさを“ちゃんと”という殻で守っていました。完璧に見せることで(実際には全然完璧には見えていなかったと思いますが)、欠けている自分を隠そうとしていたのです。でもその殻は、同時に私を閉じ込めていたのだと思います。
どんなに「先生らしく」振る舞っても、内側は常に緊張していて、本当の意味での安心感を持てていなかった。“ちゃんと”の裏にあったのは、弱さを見せることへの恐れだったのだと思います。弱さを見せることって、許容と強さが必要なんですよね。
人は誰しも不完全で、揺らぎながら生きている。そんな当たり前のことを許容するのに、ずいぶん長い時間をかけてしまいました。でも多くの人はそんな風に、大人になっていくにつれて殻を硬くしてしまうのではないかと思うのです。
いつからか私は、等身大の自分を見せられるようになりました。「みっともない自分」を許容できるようになったのだと思います。SNSでも、以前のように整った投稿だけでなく、失敗したことや情けないエピソードも書くようになりました。最初は勇気がいりましたが、意外なことに、そうした投稿のほうがたくさんの共感をもらえるのです。
「ちゃんとしていなきゃ」と自分を縛っていたのは、他の誰でもなく、自分自身だった。みっともない部分を見せることができるようになったのは、自信を失ったからではなく、むしろ“自分を信じられるようになったから”。それって、成熟の一つの形なのではないかと思います。
大人になると、失敗を避け、無難に生きようとしてしまいがち。でも、失敗を恐れて動かないことこそが、成長を止めてしまうのではないでしょうか。
恥をかくこと、みっともない思いをすること。それは同時に「挑戦している」ということでもあります。殻をやわらかくして、等身大のまま進む姿こそが、本当の強さであり、大人の余裕なのかもしれません。私たちはきっと、もっと”みっともない”をしていいのだと思うのです!
40代で自分を完成させてしまうには、まだ早いですよね。まだまだ、成長の途中でいいのです。みっともないことを恐れずに、挑戦し続けることで、私たちはこれからもみずみずしく生きていけるのだと思います。
井上敦子
15年間の会社員生活を経てヨガ講師に転身。不眠症をヨガで克服した経験を持つ。リラックスが苦手だった経験から、ヨガニードラを通じてリラックスの本質を伝えるクラスを展開。週に8本のヨガニードラのレギュラークラスを持つ他、指導者養成講座やコラム執筆等ヨガニードラの普及に努めている。
2025-11-04T10:09:03Z