どうしたらこの傷を少しでも癒すことができるのか。私が思いを綴る理由|連載 #こころをほどく

はじめまして、渡邊渚です。

この度、ヨガジャーナルオンラインでエッセイの連載をやらせていただくことになりました。

実は、私はSLEアクティビスト・宮井典子さんの連載エッセイ『"生きる"を綴る』の読者でした。私自身、入院中や療養中に宮井さんのまっすぐで澄んだ文章で表現される自分らしい生き方に、何度も励まされてきました。

そんな場所で私も連載ができるなんて、本当に不思議なご縁です。

さて、私のプロフィールをざっくり紹介します。

2020年に社会人になり、テレビ局に入社。

体力に自信があって、夢や目標に挑戦する猪突猛進タイプの会社員でした。当時は自分が精神疾患にかかるなんて微塵も思っていませんでした。

しかし、2023年にトラウマとなる出来事が起き、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症。その後2024年に退職。去年の10月から起業し、エッセイを書いたりすることを生業としております。

さて、みなさんはPTSD というと、どんなことを思い浮かべるでしょうか?

きっと多くの方が、戦争による心的外傷が浮かぶのではないでしょうか。

かつては「戦争神経症」と言われ、患者は差別や偏見を受けたり、戦争を始めた国家としてもその病気は都合の悪いものだったから”触れてはいけないもの”として扱われていました。

しかし、近年ようやくテレビやYouTubeでもかなり情報が出てくるようになりました。

PTSDというとベトナム戦争後の退役軍人のイメージが強く、どこか別の国の病のように、自分とは関係ないものだと感じる方も多いかと思いますが、戦後の日本でも、実態が把握されていないだけで、多くの方が心の傷やトラウマを抱えていました。

特に第二次世界大戦後の元日本兵の映像は衝撃的です。

だから、この文章を読んでくださっている皆さまには、「戦争神経症」とYouTubeで検索して、一度映像を観て欲しいです。

これがPTSDなのだと一番早く理解できるかと思います。

精神的な傷が身体にまで影響を及ぼし、痙攣したり、震えてうまく歩くことができない様子に胸が痛くなるでしょう。

2年前の私も、ずばり、その状態でした。

なぜか自分の身体が自分のものじゃないような感覚で、歩きたいのに足が前に出ない。立っていられない。ずっと世界が回っている。

ちょっとした音が、トラウマを思い起こさせました。思い出したくもないのに、トラウマが頭の中を占領していました。

こんな話をすると、よく「お前の苦しみが第二次世界大戦と同じだって言うのか。図々しい女だ」など、いろいろなことをSNSで言われます。

もちろん、私は”自分のトラウマが世界大戦のトラウマと同等である”と言いたいわけではありません。

私のトラウマなんて、横で仲間が死んでいく、自分が人を殺さなければ殺されるという戦場とは比べ物にならないでしょう。

ただ『苦しみの度合いなんて比較するものじゃない』とは思います。

時々、うつ病やPTSDの人に対して「普通の人はこんなことで心を病まない」という言葉を向けられることがありますが、置かれた立場や状況によってトラウマの様相は異なるし、人それぞれ、痛みや苦しさの尺度は違います。

一緒くたにはできません。

精神疾患は薬を飲めば即効で治るわけでもなく、外科手術で直接取り除くこともできません。

心の傷は簡単に目に見えないからこそ根深くて、治療が難しいのです。

私は今でも胸がギューっとなって、息がしづらくなる時があります。

トラウマ直後よりはフラッシュバックも常に緊張して眠れないなどの過覚醒もだいぶ落ち着きましたが、それでも私の心や頭、身体の記憶はなくなりません。残念ながら一生消えてはくれないでしょう。

それだけでもつらいですが、精神疾患に対してまだまだ偏見が多く、生きづらさを感じる場面も多々あります。

では、どうしたらこの傷を少しでも癒すことができるのでしょうか?

その一つが、自分と同じ苦しみをする人を減らしたり、手を差し伸べたりすることだと考えています。

だから、私は自分のこれまでの経験を全て活かして、精神疾患に偏見がなく、区別されないやさしい世界をつくりたいと思っています。

今は、啓発団体「シルバーリボンジャパン」さんと協力して、脳や心に起因する疾患やメンタルヘルスへの理解を深める活動もしています。

黙っていても社会は何も変わらないから、多少自分が痛みを背負ってでも、私は言葉をもって伝えていくつもりです。

これからはヨガジャーナルオンラインでも言葉を紡いでいけることが本当に嬉しく、ワクワクしています。

ここではメンタルヘルス、身体的な健康、女性特有の悩みなど、ざっくばらんにお話ししていくつもりです。

皆さま、末長くよろしくお願いいたします!

渡邊渚

4月13日生まれ、新潟県出身。慶應義塾大学を卒業後、株式会社フジテレビジョンに2020年に入社。2024年8月末に同社を退社。現在はフリーで活動中。

2025-10-01T11:08:53Z